こんにちは!てんきんママです!
私は2011年に男女の双子を出産しました。
当時は双子妊娠の情報があまりなく、ガラケーで検索しまくっていました。
それでも双子の体験談は少なくて「もっと、もっと情報が欲しい!いろんな人の体験談が知りたい!」と貪るように調べていたのを覚えています。
そして、いつかは私のように
「双子を妊娠したけど何にもわからない!」
「少しでも情報が欲しい!」
という人に私の体験談を役立ててもらいたいなと思うようになりました。
そこで、少し古い情報ではありますが、私が双子を妊娠して出産にいたるまでの体験談をまとめました。
この記事は

・双子妊娠のリアルな体験談が知りたい!
・双子は単胎児と比べて何が違うの?
という人におすすめです♪
妊娠発覚

妊娠したのは結婚して5年目でした。
不妊治療は受けておらず、かといって子どもが欲しくないわけでもなく「できれば欲しいけどできなかったら仕方ない」という考えでした。
そんななか妊娠が発覚、しかも初めての産婦人科受診で
「双子だからここでは出産できない。大きい病院を探して」
と言われ軽くパニックに。
双子妊娠は不妊治療とか遺伝といったイメージがあったので
「親戚に双子はいないし不妊治療もしてないし…なのに何で双子?妊娠は嬉しいけど…え?双子?」
と、嬉しさと驚きが入り混じって正直混乱状態でした。
さらに
「今まで5年間一度も妊娠しなかったのに初めての妊娠が双子なの?」
とも思いました。

もちろん嬉しかったのですが、同じくらい驚いたのが正直なところです。
妊娠が発覚してからは
「今まではどこに行くにも自転車だったけど乗らないほうがいいかな」
とか
「つわりがくるのはいつかな」
とかそんなことを思ってふわふわした気持ちでいました。
そんな妊娠発覚から4日後の2011年3月11日、東日本大震災がやってきたのです。
私は当時、宮城県仙台市内のマンションの4階に住んでいたのですが、地震の揺れはすさまじく立っていられないほどでした。
家の中は怖くていられないし、ライフラインは全部ダメ、車で暖を取ろうにもガソリンも入れることができない、そんな状態で3日ほど過ごしました。
その後、夫の会社が空いている社員寮を避難所として用意してくれるとのことで、バスを乗り継いで愛知県まで行きました。
その後は1ヶ月ほど会社の社員寮に仮住まいさせてもらいましたが、その頃からつわりが始まって寮から一歩も動けない生活に。
知り合いもいないし車も自転車もない、つわりでそもそも動けない、夫は仕事でいない、という孤独きわまりない状況で1ヶ月近く引きこもってました。
当時はガラケーでパソコンも持っていなく、テレビくらいしか見ることができなかったのですが、テレビは地震の特集のみ、CMはACジャパンのみであのCMがすっかりトラウマに…

「ポポポポーン」のCMを見るとつわりがセットで思い出される身体になってしまいました。(泣)
そんな社員寮での避難生活の中、孤独の他に心配な点がありました。
それはお腹の中の赤ちゃんです。
妊娠発覚以来、1度も病院に行けてなかったので、赤ちゃんたちがちゃんと無事でいるのかとても心配でした。
愛知県にきて数日経ったある日、近くの婦人科でやっと診察することができたのですが、双子の心拍が確認できた時は涙が止まりませんでした。
本来なら、心拍確認後は母子手帳をもらうと思うのですが、その時点で現住所がまだ仙台にある状態。
なので、母子手帳をもらえたのはそこから1ヶ月後、長野県に引っ越した後でした。
母子手帳をもらう

震災の影響で夫が仙台での仕事が続けられなくなり、長野県松本市に転勤となりました。
そこで改めて産婦人科を受診して、母子手帳をもらうことができたのです。
ただ、当時の松本市では双子出産は長野県立こども病院でしか受け入れていないとのことでした。
なのでここでも「ここで出産はできないから県立こども病院に行くように」と言われて、紹介状を書いてもらいました。
里帰り先の出産予約をとる

個人産院の場合、妊娠5~6週くらいで産院を予約しておかないと、予約で埋まってしまって出産できる産院が見つからない可能性があります。
私の場合は被災したり避難したりいろいろあったので、母子手帳をもらった時点ですでに妊娠9週になっていました。
普通であれば受け入れが難しい時期ですが、里帰り出産と双子出産のため、地元の大学病院を選んだので、受け入れにはまだ余裕がありました。

最初は焦りましたが、無事出産予約をとることができてひと安心でした。
妊婦健診

妊婦健診のために里帰りまで安曇野市にある長野県立こども病院に通うこととなりました。
妊婦健診は一般的に1ヶ月に1回なのですが、双子ということで2週間に1回の検診でした。
ちなみに、妊娠すると母子手帳とともに妊婦健診の補助券がもらえます。
今では多児妊娠は追加補助券がある自治体が多いようですが、当時の松本市は単児も多児も同じ枚数でした。
そうなると、健診が単児妊婦より多い私は、途中で補助券がなくなるのが確実ということに。

本来なら補助券がなくなったら自費診療になるのですが、私は妊娠27週で切迫早産で入院となってしまい、幸か不幸か自費診療での健診は免れました。(^-^;
双子妊娠のリスクや今後の流れについての説明を受ける

双子(多児)妊娠は、単児妊娠よりリスクが高いため、病院で
- 妊娠高血圧症候群や妊娠糖尿病などになりやすい
- 2人分の栄養を取られるため、貧血になりやすい
- 赤ちゃんの重みで子宮頸管が短くなりやすい
などのリスクがあると説明されました。
それらを細かくチェックするために、単児妊娠より健診間隔が短くなっているとのことでした。
産後の貧血についても詳しくまとめています。↓
また、それ以外に実際に感じたリスクは
- 産院が限られる
- 出産方法が選べない場合もある
- 出産前に管理入院となる場合がある
です。
里帰りした病院では、母子の安全を考えて帝王切開のみ、さらに早産防止のために32週あたりから出産まで管理入院とのことでした。
(病院によって双子の自然分娩を扱っていたり、管理入院がないところもあるようです)

直前まで実家でのんびり過ごしたかった気持ちもありましたが、赤ちゃんたちの安全を考えたら病院で管理してもらった方がいいか、と気持ちを切り替えました。
ちなみに帝王切開に関しても、37週と少し早い週数での手術となりました。
26週で切迫早産→入院に

妊娠26週の里帰り最後の健診で、県立こども病院の先生に「子宮頸管が短くなってるからできるだけ早く里帰りしたほうがいい」と言われたため、次の週には里帰りしました。
すると里帰り後、初の健診で「子宮頸管がかなり短いからこのまま入院!」と言われて即入院に!

帰省した時にある程度心構えはできてたのですが、まさか里帰りしてすぐ入院と言われるとは…ショックでした。
結局予定より大幅に早い27週での入院となり、ここからは寝たきり生活が始まりました。
入院

病室では子宮の収縮を抑えるための点滴を常時つけて、トイレと食事以外は寝て過ごし、シャワーは週2回、シャワーの時も点滴の針は刺しっぱなしです。
産後は個室ですが、この時点では4人部屋で入口にあるトイレと洗面台が共用という感じでした。
大部屋はみんな切迫流産か早産の人だったのですが、症状が軽い人は点滴なしで飲み薬のみという人も。

「私も症状が良くなって点滴なしになりたい!」と思っていましたが、結局出産まで点滴が抜かれることはありませんでした…
私が入院していた病院は、点滴の針を1週間に一度刺し替えるシステムだったのですが、痛みや腫れ、内出血などで持たない時は1週間待たずに差し替えでした。
入院生活が長くなるとだんだん血管も弱ってきて、刺せる血管が少なくなるように。
なので、腕をなるべく動かさないようにして、いかに1週間針をもたせるかだけに神経を注いでいました。
ちなみに入院時、暇つぶしにDS(ドラクエ9)と編み物の道具を持参したのですが、ゲームと編み物をした日に点滴漏れで刺し替えに。
それからは怖くてゲームも編み物もできなくて、ガラケーから買い換えたばかりのスマホで「切迫早産」とか「帝王切開」とか「双子妊娠」を検索する日々でした。

その頃はまだ動画やサブスクサービスが普及していなかったので、ひたすらスマホで検索の毎日でした。
今なら音楽を聞いたり映画を観たり、海外ドラマの一気観とかできたかも!と思います。
急きょ帝王切開が決定

36週に入ったあたりから赤ちゃんたちが大きくなり、肋骨を圧迫するようになって激痛で夜も眠ることができない状態に。
そのため、夜中は肋骨の痛みを少しでもやわらげるためにベッドの上で四つん這いになって一晩過ごして、朝方少し寝落ちするという日々でした。
精神的にも限界を迎えていたので、ある日、朝の回診で先生に「もうこれ以上は無理です」と伝えると「じゃあ今日出産しましょうか」とあっさり言われ、急きょ手術が決定。
予定していた日より数日早い出産となりました。
ちなみに通常の予定帝王切開の場合、前日に剃毛をして夕方から絶食が始まり…という流れです。
でも私の場合、急きょ手術が決まったのでそのまま個室に移動→剃毛、脊椎や尿管に管を通したり…とあれよあれよと処置が進んでいき、15時から手術となりました。

朝ごはんは食べた後でしたが、手術時は7時間経っているから大丈夫とのことでした。
私もびっくりですが、もっとびっくりしたのは実家の家族と夫です。
母は急きょ病院に来てくれましたが、夫は当時長野県にいたので来ることはできず、私本人も窓の外の雨を見ながら「なんだか急展開だなぁ」と思っていました。
(まあ言い出しっぺは自分なんですが)
手術室に入ると脊椎麻酔をかけられて「これ痛いですかー?」と聞かれて刺されてる感覚があったので、「感覚があります!」と言いました。(怖かったので)
ですが「これ、普通なら激痛が走るくらいで刺してるので痛くないなら問題ないですね」と言われて手術が開始。

「いやいや!刺された感触あるし!大丈夫なの?」と思っていたんですが、いざ手術が始まったらまったく痛くありませんでした。
先生が「はい、1人目ねー」と言った後に体がちょっと軽くなり、その後「次2人目出てくるよー」と言った後、一気に体が浮くような感覚がしました。
その後は胎盤を出すためにお腹を押されて(地味に痛かった)赤ちゃんたちを近くに連れてきてもらって…とあっという間に終了。
生まれた赤ちゃんは1人目が2760g、2人目が2040gとかなり体重差がありましたが、2人とも元気に産声をあげて生まれてきてくれました。
まとめ

今回は、私が双子を妊娠して出産するまでの体験談をまとめました!
流れや病院の対応など、10年以上前と今で違う部分も多いと思いますが、妊婦さんの状態は今も昔もあまり変わらないのでは?と思います。
今双子を妊娠している方が、「こんな体験談もあるんだ」と少しでも参考にしてくれたら嬉しいです。
今は大変だと思いますが、この苦しみは必ず終わります。
なので「あと少しで赤ちゃんたちに会える」と指折り数えながら、今しかない時間を過ごしてくださいね。
応援しています!!

最後まで読んでいただきありがとうございました!





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